武田鉄矢は結婚してる?ドラえもんの逸話?心臓の手術を?金八の名言
歌手で俳優の武田鉄矢さんについて紹介します。
武田鉄矢さんの略歴
テレビドラマ「3年B組金八先生」でおなじみの武田鉄矢さんは、1949年4月11日に生まれました。
出身地は福岡県福岡市です。
金八先生らしく(?)福岡教育大学に入学した武田さんでしたが、休学して芸能界入りを模索していたようですね。
大学を休学中の学費は、お母さんのイクさん払っていたそうですが、結局は7年在籍して中退してしまいました。
1972年に海援隊でデビューした武田鉄矢さんは、苦労をかけた母のイクさんへのお詫びを歌にした「母に捧げるバラード」がヒットし、紅白に出場するまでになりました。
イクさんの苦労が実りましたね。(笑)
ただ、その後は人気が低迷し皿洗いバイトの日々だったとか。
ここで終わってしまっていたら、「一発屋」と呼ばれてたかもしれません。。。
転機は1977年に公開された映画「幸福の黄色いハンカチ」の出演と、1979年からの「3年B組金八先生」です。
特に金八先生では主題歌「贈る言葉」でも人気を集め、俳優・歌手としての地位を築き上げます。
中退した福岡教育大学も、金八先生の活動を評価して名誉学士号を授与したとか。
なので、大学卒になりますね。(笑)
現在も、映画やテレビドラマを中心に活躍されています。
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結婚してる?
武田鉄矢さんは、一般女性と結婚されていて娘さんが2人いるそうです。
娘さんも芸能界入りはされていないようですね。
おそらく、売れる前の20代頃から結婚されているみたいで、「母に捧げるバラード」でヒット後の人気低迷を夫婦でバイトをしながら支えてきたんだそうです。
その後、武田鉄矢さんはブレイクし、現在も円満な夫婦生活をおくられています。
当ブログで度々取り上げる「ブレイク前に付き合った人と結婚すると家庭生活がうまくいく」という法則に当てはまっていますね。(笑)
ドラえもんの逸話?
武田鉄矢さんと言えば金八先生以外に、映画版ドラえもんの主題歌でも有名ですね。
初期の方の作品で実際に武田鉄矢さんが歌っているのは「ドラえもん のび太の宇宙小戦争」の主題歌「少年期」くらいですが、初期の作品の作詞のほとんどを武田さんが手がけています。
武田鉄矢さんと藤子・F・不二雄さんが一緒にゴルフをする機会があったのが、武田さんが主題歌を手がけるきっかけだったそうです。
その後、スタッフから「武田さんを主題歌から降板させる」という案を持ちだされた際に、普段温厚な藤子・F・不二雄さんが激怒するほど気に入られたとか。
よほど、映画版ドラえもんで描きたい世界観と武田鉄矢さんのイメージが一致したんでしょうね。
武田鉄矢さんは、藤子・F・不二雄さんが亡くなった後、マンネリ化を防止するために主題歌提供を辞退しました。
ただ、2010年に公開された「ドラえもん のび太の人魚大海戦」で映画30周年を記念して作詞と歌を担当したそうです。
子供の頃は全然考えていませんでしたが、二人の間には深い関係があったんですね。。。
心臓の手術を?
2011年10月21日に武田鉄矢さんは、心臓疾患のために手術を受けました。
「大動脈弁狭窄症(きょうさくしょう)」という病気で、3枚あるはずの大動脈弁が生まれつき2枚しかなかった武田さんは、動悸・息切れを引き起こしやすい状態だったそうですね。
手術は無事成功し、リハビリで順調に回復した武田鉄矢さん。
入院生活で家族のありがたみを痛いほど感じたそうです。
確かに、家族ってありがたいものですね。
金八の名言
そんな武田鉄矢さんと、武田さんが演じる金八先生の名言をいくつかご紹介します。
道はいくらでもある。
でもな、逃げ出せば、道は1つしかない。
逃げ道という道だ。
何事にもチャレンジしていきたいものです。
人から学ぼうとする人は、何からでも学べる。
人に教えようとする人は、何も学べない。
人の話を聞かないで、説教くさいことばっかり言ってる人って結構いますよね。(笑)
恋とはそもそも涙の準備をして始めるものなんです。
最近の「草食男子化」って、涙の準備ができていないから起きるのかもしれませんね。
何でも謝って済むことではないけれど、謝れない人間は最低だ。
確かに、ごもっともです。
あのね、立派な人になんかにならなくてもいいの。
感じの良い人になって下さい。
結局、感じの良い人が立派になれるんですよね。。。(笑)
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