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大槻ケンヂと菅野美穂との関係は?オーケン事件って?懐かしのCM動画

大槻ケンヂと菅野美穂との関係は?オーケン事件って?懐かしのCM動画

ロックミュージシャンで作家の大槻ケンヂさん。

話すと意外と(?)おもしろい人ですね。

大槻ケンヂさんの略歴

ロックグループ「筋肉少女帯」のヴォーカルの大槻ケンヂさんは、1966年2月6日に生まれました。

出身地は東京都中野区です。

 

中学時代の同級生だった、後の「筋肉少女帯」の結成メンバーとなる内田雄一郎さんと、最初は漫画家を目指していたそうです。

 

その当時、大きな影響を受けた漫画家がこの人だったそうです。

漫画家の蛭子能収さんです。

蛭子さんは一見やさしいおじさんのように見えますが、作風や言動などから明石家さんまさんに「笑う悪魔」とニックネームが付けられるほど心に闇を持った性格で。。。

そういう所が、当時の大槻ケンヂさん達に影響を与えたんでしょうね。

 

ロックバンド「筋肉少女帯」を内田さんと結成したのは1982年2月で、翌年の1983年にインディーズデビューし、1988年にアルバム「仏陀L」、シングル「釈迦」を発表してメジャーデビューを果たしました。

 

その後、話題となったのがアルバムに収録された曲の「日本印度化計画」

続いて発表された「元祖高木ブー伝説」の大ヒットとともに、一部でコミックバンド的な扱いを受けながらも根底にある哲学が支持されて、人気を博するようになりました。

 

ただ、所属事務所の経営破綻やモチベーションの低下などが理由で「筋肉少女帯」の活動に限界を感じ始めた大槻ケンヂさんは、1999年6月に「筋肉少女帯」を脱退。

残った内田雄一郎さんを中心としたメンバーも、翌月の1999年7月に活動休止を発表しました。

 

一方で、大槻ケンヂさんは脱退以前から小説やエッセイなどの文筆活動を行っていて、自身のサブカルチャーに関する幅広い知識から、多数の著作物を生み出していました。

 

2007年には「筋肉少女帯」としての活動を復活し3月にベストアルバム「筋肉少女帯 復活究極ベスト 大公式」を発表。

本格的にバンド活動を再開しました。

 

現在も、音楽活動を中心に作家やテレビタレントとして幅広く活躍されています。

 

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菅野美穂との関係は?

バンド結成以前の大槻ケンヂさんは全然女性との縁がなかったそうですが、インディーズでデビューし話題になった頃からモテ初めて、数々の女性と関係を持ったそうです。

ただ、本気で彼女として付き合ったのは数少ないそうですが。。。。

 

その数少ない彼女の中で特に噂になっていたのが、まだ10代だった菅野美穂さんです。

菅野美穂さんにとって「初めての交際」との噂があって、2013年4月に菅野美穂さんが堺雅人さんと結婚した際に、何故か大槻ケンヂさんが話題になっていました。(笑)

 

元カノが大女優になって結婚が話題になるのって、「一つ達成した」感があるんでしょうね。。。

 

オーケン事件って?

大槻ケンヂさんは通称「オーケン」と呼ばれていることが多いのですが、JASRACの批判材料として「オーケン事件」が度々取り上げられるようです。

 

実際にはデマだったのですが、どういう事件かというと、大槻ケンヂさん自身が作詞した「高円寺心中」を自身が著作したエッセイに載せたところ歌詞の使用料を求められた挙句、印税として還元されなかったと言う話だそうです。

 

この話については、大槻ケンヂさん本人もネットで話題になってから初めて知って、もちろん否定しているとか。

ネットって、嘘でも本当でも関係なく話題になりますからね。。。

 

懐かしのCM動画

では、動く大槻ケンヂさんをご覧下さい。

吉野家と進研ゼミのCM動画を2本続けてどうぞ。

吉野家も進研ゼミも両方今でもあるのですが、懐かしさを感じる動画ですね。。。

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