上岡龍太郎の奥さんと子供は?島田紳助との関係は?知的芸人の名言集
元お笑い芸人の上岡龍太郎さん。
引退してゴルフ三昧みたいですが、それでもたまに話題になる事がありますね。
上岡龍太郎さんの略歴
知性派芸人として活躍していた上岡龍太郎さんは、1942年3月20日に生まれました。
出身地は、京都市です。
高校卒業後に、「同じ落ちるのならレベルの高い大学を・・・」と立命館大学を受験し、結局不合格だった上岡龍太郎さんは、その不合格を機に本格的に芸能界を志すようになったそうです。
そして、1960年に師匠でもある横山ノックさん誘われて「横山パンチ」と名乗って、横山フックさんを加えて「漫画トリオ」を結成しました。
「師匠で相方」って当時は普通だったんでしょうか。。。
時事ニュースネタとテンポの良さで人気を博した「漫画トリオ」でしたが、1968年に横山ノックさんの参議院選挙への出馬の為に活動停止に。
その後、芸名を「上岡龍太郎」に改めて活動したものの、当初は仕事がなく干されていた状態だったそうです。
ピンとして軌道に乗る前にコンビやトリオが解散してしまうと、さすがに辛いですよね。。。
ただ、その後、関西圏を中心に自ら営業を進んで行いレギュラー番組を獲得していった上岡龍太郎さんは、関西で人気タレントの仲間入りを果たしました。
また、以前から「東京には行かへん」宣言をしていたものの、1985年の「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」に出演し、1987年の「鶴瓶上岡パペポTV」で関東圏でもブレイク。
一躍、全国区での一流タレントの仲間入りを果たしました。
その後、バラエティー番組を中心に活躍していた上岡龍太郎さんでしたが、「2000年の春に完全に隠居する」と宣言し、宣言通りに芸能界を引退。
現在は悠々自適な生活を営んでいるそうです。
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奥さんと子供は?
上岡龍太郎さんの奥さんは、上岡さんが「横山パンチ」と名乗っていた頃のファンだそうですね。
「漫画トリオ」で人気のあった上岡龍太郎さんは、集まってきたファンの1人に対してこう口説いていたそうです。
君は将来、ぼくと結婚する
ただ、奥さんは当時まだ中学生だったそうで、笑福亭鶴瓶さんから犯罪者呼ばわりされたとか。
意外と、若い子好きだったんですね。(笑)
そんな上岡さん夫妻には、映画監督の小林聖太郎さんという息子が1人います。
主に、助監督として活躍していて、井筒和幸監督の「ゲロッパ!」や「パッチギ!」などの作品を手がけています。
眼鏡の感じもあると思いますが、やっぱり似てますね。。。(笑)
島田紳助との関係は?
島田紳助さんがまだ若手の漫才コンビ「紳助竜介」として活動していた頃に、上岡龍太郎さんが漫才の指導を行ったそうです。
その時に、島田さんが「今までにない漫才をやりたい」と言ったため、上岡さんはそれにこう答えたとか。
よし!じゃあ僕が今から今までの漫才のパターン全部教えてやるから、これからそれやったらあかんぞ
こうして、「紳助竜介」はツッパリスタイルの漫才を確立したそうです。
「今までにない漫才」という発想もすごいですが、それに応えた上岡さんもすごいですね。。。
その後も、非公式な師弟関係として交流が続いているそうです。
(二人とも還暦前に引退してしまいましたけど。。。)
知的芸人の名言集
知的芸人として評判の高い上岡龍太郎さんは、数々の名言を残しています。
ここでは、その中から管理人が勝手に選んだ名言を紹介します。
エスカレーターに乗っても歩きなさい。
自分を機械に任せたら終わりです。
確かに、最近機械任せなことが多くなってきましたからね。。。
金がいるのは、子育てと見栄のため。
それ以外に金はいらない。
そう言われてみると、そんな感じも。(笑)
結婚して10年経って結婚前より妻が不細工になったとしたら、その8割は男の責任である。
なるほど、肝に銘じておかないと。。。
テレビでウケるものは2パターンしかない。
素人が芸を見せるか、スターが私生活を見せるかのどちらかだ。
そういえば、最近スターの私生活を見せる番組が多い気がしますね。
人間は死ぬ。
必ず死ぬのだけれども、今すぐに死ぬわけではないということだ。
死ぬには、間がある。
この間があるということを、決しておろそかにしてはならない。
死ぬまでは必死に生きろということですね。
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