加山雄三の奥さんは?23億円の借金?老化防止でゲーム?光進丸は?
俳優でシンガーソングライターの加山雄三さんについて紹介します。
加山雄三さんの略歴
「若大将」の愛称で知られる加山雄三さんは、1937年4月11日に生まれました。
出身地は神奈川県横浜市ですが、子供の頃は茅ヶ崎市で育ったそうです。
茅ヶ崎といえば湘南海岸が有名ですが、「海」のイメージの原点はここからかもしれませんね。(笑)
出身大学は慶應義塾大学で、法学部政治学科を専攻したそうです。
卒業後の1960年に東宝へ入社。
最初は商社志望だったそうですが、船の資金を手っ取り早く作りたくて東宝に入ったそうです。
慶應まで出て普通に勤めたほうが手堅い感じもしますが、、確かに東宝で売れた方が手っ取り早いでしょうか。。。(笑)
東宝に入社した1960年に映画「男対男」で俳優としてデビューを果たした加山雄三さんは、翌年の1961年に「夜の太陽」で歌手としてもデビュー。
その後、NHK紅白歌合戦に17回出場し、シンガーソングライターとしての草分け的な存在となります。
1965年に「君といつまでも」が350万枚の売上を記録し空前のヒットとなり、映画でも「若大将シリーズ」がヒットしてかなりの人気を博します。
ただ、その勢いに乗って(?)、同じく1965年にパシフィックホテル茅ヶ崎をオープンした加山雄三さんですが、同ホテルは1970年に倒産。
かなりの借金を背負うことになります。
また、同時に「若大将シリーズ」のが低迷し、俳優としての仕事も減少。
当時は、督促状におびえる日々だったと日経新聞の私の履歴書で述懐していました。
その後、バラエティ番組やテレビドラマなど活躍の場をテレビに移した加山雄三さんは、「理想の父親」として好感度を上げ、10年かけて借金を返済したそうです。
現在も、テレビ番組などで活躍されていますね。
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奥さんは?23億円の借金?
加山雄三さんは、1970年に当時女優だった松本めぐみさんと結婚しました。
きっかけは、1965年の「エレキの若大将」での共演だそうで、加山雄三さんの船で船酔いもせずに悠々と編み物をしていたことから、加山さんが一目惚れしたんだとか。
「女性は船酔するものだ」という考えがあって、初めて船に乗せた女性が松本めぐみさんだったそうです。
その考えは正しくなかったかもしれませんが、結局はそれが交際のきっかけになったんですね。(笑)
結婚当初、人気絶頂期であると同時に借金絶頂期(?)でもあった加山さん夫妻は、華やかなイメージとは裏腹に文字通り「借金地獄」からのスタートだったそうです。
借金の額は23億円に達したとか。。。。
ただ、奥さんの松本めぐみさんは持ち前の明るさで加山雄三さんをサポートし、見事に返済しました。
結婚生活を振り返って、松本めぐみさんはこうコメントしています。
あなたといると退屈しないわよ
つらい時期を一緒に乗り越えたから言えるコメントですね。。。
老化防止でゲーム?
幼い頃から「スペースインベーダー」で遊んでいた加山雄三さんは、現在もかなりのゲーマーだそうです。
きっかけは、友人から老化防止になると言われたことだそうですね。
老化防止だと、「脳トレ」みたいなのを連想するんですが、実は「バイオハザード」や「ファイナルファンタジー」など、本格的(?)なゲームをするんだとか。
特に「バイオハザード1」で、敵と距離をとって戦える火器などを使わずに弱い武器の「ナイフ」のみでクリアするなど、かなりやりこんでいるそうです。
普通の若者でも、そこまでやってる人はなかなかいないですね。(笑)
そんな加山雄三さんのバイオハザード友達が。。。
アナウンサーの鈴木史朗さんです。
鈴木さんもゲーマーな感じが全然しないですね。。。(笑)
光進丸は?
加山雄三さんと言えば、自身が所有するクルーザー「光進丸」ですね。
実は、現在は3代目の光進丸だそうです。
建造費用は約4億円で、最大63人が搭乗できる船だとか。
実際に、50人程を乗船させたことがあるそうですね。
これだけ大きい船だと、外国の港を点々としながら世界一周とかできそうですね。
それは面白そう。。。(笑)
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