山田邦子の厳しかった父親と旦那との結婚?乳がんを自分で発見?
お笑いタレントの山田邦子さん。
一昔前は見ない日がないくらいテレビに出演していましたが、いろいろあったみたいですね。。。
山田邦子さんの略歴
「オレたちひょうきん族」などの人気バラエティー番組で活躍していた山田邦子さんは、1960年6月13日に生まれました。
出身地は、東京都板橋区です。
高校生の頃から視聴者参加型のバラエティー番組「TVジョッキー」に出演して西城秀樹さんのモノマネを披露していた山田邦子さんは、その他にも数々の視聴者参加型番組に出演し、素人ながら有名な存在でした。
その後、太田プロダクションに所属して芸能界入りし、1981年には「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」でレコードデビュー。
それ以前は若者のみが使っていた「ぶりっ子」という言葉が、中高年層にまで広く普及しました。
一種の社会現象を巻き起こしたんですね。(笑)
また、同じく1981年からレギュラー放送されたバラエティー番組「オレたちひょうきん族」にもレギュラー出演。
「ひょうきん絵描き歌」など数々の大ヒット企画を担当し、ひょうきん族の黄金時代に貢献しお笑いタレントとして確固たる地位を築きました。
当時はプロ入りして間もないですが、怒涛の活躍ですね。
その後、山田邦子さんの司会番組や冠番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」など多数の番組に出演し、NHKの「好きなタレント調査」では1988年から1995年の8年間1位を独占。
好感度No.1タレントとして知られるようになりました。
ただ、1995年頃から恋愛スキャンダルなどで週刊誌からバッシング記事が相次ぎ、好感度が低下。
特に、芸能リポーターの井上公造さんからの質問に対して、「お前モテないだろう」などと罵倒したシーンが放送された影響が大きかったそうです。
罵倒しても仕方がないような質問だったのかもしれませんが、好感度の良さがウリだっただけにダメージが大きかったんでしょうね。。。
その影響で次第にテレビでの露出が減っていき、表舞台の中心的な存在ではなくなりましたが、現在もいくつかバラエティー番組にレギュラー出演し、主にお笑いタレントとして活躍されています。
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厳しかった父親と旦那との結婚
山田邦子さんのお父さんはかなり厳しかったそうですね。
門限が早くて外泊が禁止だったのは当たり前で、コーヒーやコーラ、ソースを禁止していて、部屋の模様替えも禁止していたそうです。
厳しさの度を超してる感じもしますね。。。(笑)
そんなお父さんは、当然(?)娘の結婚にも反対していたんだそうですが、1998年に他界してしまったそうです。
当時、山田邦子は後の旦那となるテレビ制作会社の代表の後藤史郎さんと交際していて、実はそれが不倫だった事から週刊誌にバッシングされていた時でした。
お父さんとしては、心配だったでしょうね。。。
その後、2000年に後藤さんと結婚。
現在も、お子さんについては公開されていないようですが、夫婦関係は問題なさそうなので、お父さんの心配は取り越し苦労のようですね。
乳がんを自分で発見?
山田邦子さんは、医療バラエティー番組「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル」に出演し、番組内で乳がんを自己検診してみたところ、胸に違和感があるのを発見。
正式な検査で乳がんが見つかりました。
その後、2回の手術でがんを摘出し、現在は健康に生活されています。
偶然でもがんを早期発見できて運が良かったですね。
また、これをきっかけに、現在は「がん」についてのイベントに積極的に参加し啓蒙活動を行っているそうです。
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